「素手で便器を洗っている」というのをたたえる不思議

「素手で便器を洗っている」というのをたたえる不思議

給食のおばさんがトイレ掃除もしていて、素手で便器を洗っていても問題にしないのなら、ちょっとは考えてみるけど?!

なぜこんな意地悪な設定をしたかといえば、便器は汚くないとか、あとでちゃんと手を洗えば清潔だとか言い出す人がいると思うから。

おかしなことをおかしいと言えない状況があれば、そういう運動は結果を出していても、ダメなところがあると思うけどね。

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何がダメなのか?というと、こういう手法って、怪しい・怪しくない自己啓発系のセミナーでもよく使われる手法なんですね。

なぜ、素手で汚いと思われるものを触るかといえば、インパクトを与えて、心を破壊するという心理的な効果があるからでしょう。

でもって、啓蒙と洗脳は紙一重であると思う。

自己啓発でなぜ怪しい・怪しくないの区別らしきものがあるかといえば、常識的に考えて・・という部分があるからですよ。

でもって、反論しにくい論理を駆使して、きれいな物語風にするほど、僕は悪質だと思う。

結果を出してるからいいとかいうのは、手段・方法を無視してるので、たぶん良くないと思う。

なぜ、手段・方法を大事にするかといえば、本当は結果にも影響を与えてるからですよ。

怪しい信念で、立ち直ったとしても

その信念が崩壊したら、元に戻ってしまいますよ。

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以下書いたけど、意味不明です。

鍵山氏が、中国の大学構内で学生たちと掃除した時も、こういう状態だった。さて、こういう状況はどうするのか、と学生たちが固唾を飲んで見守っている中、鍵山氏は素手で山盛りの糞尿を便器の穴に押し込み、水を流した。

そして、静かに振り返って「さあ、あなたはここをきれいにしてください」と一人一人に便器を割り当てていった。ここまで率先垂範されると、学生たちも後には引けず、トイレ掃除に取り組み始めた。

微妙にずれてる気がするけど・・。

そこで鍵山氏が「あなたは、大勢の人が見ている前で、道に落ちている一本のタバコの吸い殻を拾うことができますか」と尋ねると「拾えません」。「あなたはずいぶん立派な体格をしていますね。手を見せてください。こんなに立派な手があってどうして拾えないのですか」とさらに聞くと、学生は「恥ずかしいから、とてもできません」。

文脈の流れで、本音で言えない場合は、無難な、恥ずかしいからとかになりがちな。

吸い殻を拾うと手が汚れるし、また拾うメリットもそんなにないしとか言える雰囲気ではないでしょう。

私は、この吸い殻や空き缶などをただ拾うことだけが目的ではなく、日本をゴミ一つない国にしたいと思っています。これを小さなことだと思いますか?

学生は即座に「大きいことだと思います」と明快に答えた。

この誘導の仕方は、ずるいですよね。

■日本の美徳。暴走族をも激変させた「トイレ掃除」の不思議な効果

(まぐまぐニュース! - 03月19日 08:01)